明治時代の番付けにみる諏訪神社


(写真1(表紙))

明治27年に伊勢新聞社が発行した「三重県番附百種」という冊子は、三重県下のさまざまな事跡などを番付け形式にして一覧にしたもので、当時の県下の様子を知る手がかりになる資料です。(写真1(表紙))

いろいろなものが格付けされている中で、諏訪神社にかかわるものが2枚ありましたので紹介します。

ひとつめは、「著名の神社」と題するものです。(写真2)三重県下の神社を一覧にしたもので、「皇大神宮(内宮)」「豊受大神宮(外宮)」を筆頭に、伊勢神宮の別宮である「月読宮」「滝原宮」「月夜見宮」、内宮の摂社「朝熊神社」、建武中興の忠臣・結城宗広公をお祀りする津市の「結城神社」、伊賀国一ノ宮の「敢国神社」に続き、当「諏訪神社」が記されています。

ふたつめは、「四季遊覧見立競」です。(写真3)これは当時の三重県下における行楽・観光の名所を一覧にしたものです。別格扱いである中軸と呼ばれる番付けの中心には、伊勢神宮(内宮・外宮)への参拝が記されています。番付けですから右側が「東方」にあたり、同格であれば左側の「西方」より上位とされますので、順位をつけるとすれば、①東(右)大関、②西(左)大関、③東関脇④西関脇⑤東小結⑥西小結というようになります。何が格付けられているのか順に見ていきますと、まずは四季を通じての「二見ヶ浦」、次が津市一身田高田本山専修寺で行われる「報恩講」俗に“お七夜”と呼ばれる行事。そしてその次に位置するのが当諏訪神社例大祭である「四日市祭」となっています。県下に知られた祭礼であったことがわかります。他にも「四日市の山神」も記されています。


(写真2)

(写真3)

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