漫画家・小島剛夕のこと

1970年代の劇画ブームの中で大ヒットした時代劇漫画「子連れ狼」。小池一夫が原作の物語に、漫画家の小島剛夕(こじまごうせき)が作画し、昭和45年9月から昭和51年4月まで「漫画アクション」誌に連載されました。柳生一族の手により妻を失った元・公儀介錯人拝一刀(おがみ いっとう)が、息子の大五郎を乳母車に乗せてさすらいの旅に出るという物語です。
萬屋錦之介の主演によるTVドラマ化や、若山富三郎をはじめ田村正和、北大路欣也、高橋英樹らが主演した映画でも知られ、橋幸夫が歌ったTVドラマの主題歌はオリコンのベストテン入りもしています。
また、二人が呼び合う「大五郎」「ちゃん」というセリフは、今ならさしずめ流行語大賞といったほど皆が知るところでした。
「子連れ狼」で劇画家としての地位を不動にした小島剛夕は、昭和3年11月3日に滋賀県日野に生まれ、5、6歳の頃に一家をあげて四日市に移り八幡町に住まいました。第一尋常高等小学校(現・中部西小学校)に通う幼い頃から、絵を描くのが好きだったといいます。昭和25年に漫画家を志し、ふるさとの四日市をあとにして上京。紙芝居から貸し本漫画、さらに青年漫画雑誌と、その執筆の範囲は日本漫画史とともにあったといっても過言ではありません。これは余談ですが、剛夕の生年月日は、偶然にも手塚治虫と全く同じです。また、「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な水木しげると、同じ漫画本で作品を発表していたこともありました。
そんな剛夕が漫画家として仕事も軌道にのりはじめた頃、ある仕事が舞い込んだとき、専属出版社との契約の関係で小島剛夕という本名では仕事ができず、ペンネームが必要になったことがありました。そのことについて単行本「片目柳生」(平成7年「翔泳社」刊)に次のように記されています。

小島剛夕の代表作「子連れ狼」


ペンネーム 諏訪 栄のこと 小島剛夕
わが誇り高き故郷、三重県・四日市市。西に広大な丘陵地帯を山とし、東は水のきれいな伊勢湾に抱かれた、人情豊かな街である。
諺に謂く“近江商人・伊勢乞食”――これはお隣りの近江の方で気遣ってくれ、伊勢乞食を“伊勢子正直”と呼び直してくれたりもしたが……
しかし、伊勢乞食でいい。なぜなら、昔から伊勢の国は乞食が居着く……この国の人心がいかに面倒見がよく世話好きであるかを、伺わせるからである。



諏訪栄のペンネームについて記されている「片目柳生」


その四日市には、大昔から県社・諏訪神社があった。――近江に知られた大社で、毎年、正月、市の祭礼ともなると、町中ばかりか近郷、近在から、ここに集まる習慣があり、親戚・知人など、半年以上の無沙汰はなかったところであった。
私を慈しんでくれた街をあとにし、上京。昭和25年のことである。
紙芝居画家、そして貸本用単行本で純愛ロマン、時代劇のロマンを描きまくって東京を過ごした。――伝通院前のひばり書房で、専属としてやっている頃、ついにコミック誌からの誘いがあり、張り切って描いたのがこの「片目柳生」である。が、悲しきかな専属の身――。画風を私の弟子ににせ、ペンネームで発表ということになる…
出版社サイドよりいくつかのペンネーム案が届けられたが、忘れ難き、わが故郷にちなんでこれからもずっと、諏訪の街が栄えてくれるようにと祈って、自分でこの名をつけた。もうかれこれ三十年近く昔の話である。


剛夕にとって幼少期を過ごした諏訪神社をはじめとする四日市の街への想いが、上京後もずっと続いていたことを示すエピソードだと思います。剛夕が過ごした当時の四日市には公式に「諏訪栄町」という名はありませんでしたが、諏訪神社が鎮まるところの町名が「諏訪栄町」と昭和38年に名付けられたのも、なにかの縁を感じます。平成12年1月5日ご永眠。71歳でした。


諏訪栄を名乗った頃の貸し本漫画
「夜の戦鬼(刊年不詳)」「瘴氣(昭和39年刊)」

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